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人日(じんじつ)

四季のある日本。たくさんの行事があります。そして行事には食べ物が付き物です。
そんな日本の行事と、食のお話をします。


人日(じんじつ)

桃の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)と同じ、五節句の一つで

一般的には「七種粥(ななくさがゆ)」を食べる日と言ったほうが有名かと思います。

 覚えておきたいのは、「七種」であって「七草」とは書かない点です。

(七草は秋の七草の時に使う書き方です。)

 食べ物とは関係ありませんが、起源となった中国では

1月1日(鳥)、2日(犬)、3日(猪)、4日(羊)、5日(牛)、6日(馬)に続く、

1月7日(人)の日であり、ここから人日と呼ばれることになりました。

 人日の日には7種類の野菜のお粥を食べるのも中国から伝わったようです。

七種とは、「せり」、「なずな(ぺんぺん草)」、「ごぎょう(母子草)」、「はこべら」、

「ほとけのざ(おおばこ)」、「ずずな(かぶ)」、「すずしろ(だいこん)」です。

 しかしながら、地方によっても多少違いがあるようで、

入手が難しいものもありますので、春菊等の野菜を加えるのも良いと思います。

 元来はこの日に七種粥を食べて、新年を無事迎えた喜びと感謝、

1年の邪気を払い、無事を祈るための行事ですが、

お正月料理で疲れた胃を休めるためにも効果的でした。

特に、正月中にお酒を飲みすぎた方には良くご理解頂けるかと思います。

 お粥といえば、東日本では風邪をひいて食欲がでない人に食べさせる食事

のイメージが強いのですが、

西日本では昔から日常食として定着していました。

 ちなみに、この日に七種を浸した水に爪を浸して、柔らかくして切ると

1年間風邪をひかないとの言い伝えがあるようですが、

決してこの水でお粥を作るものではありませんので、念のため。

(この水でお粥を作るのは少し気がひけるかもしれませんが。)

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人日(じんじつ)

 節分とは

春になったとする日:立春(りっしゅん)、夏になったとする日:立夏(りっか)、

以下同様に立秋(りっしゅう)、立冬(りっとう)の前の日を指す日で、

一年に4回あるものです。

その中でも1年の始めの立春の前の日は最も大切な日で、

後に節分と言えば立春の前の日を指すようになりました。

 本来の仕来りでは、一家の主が「鬼は外、福は内」と唱えながら、

玄関や部屋に豆をまいて、

その後に皆で自分の年齢(もしくは+1歳)分の豆を拾って食べることで

一年の無病息災を祈るものです。

 しかし、この習慣は最近では以下の理由より嫌煙されることが増えており、

「鬼は外・・・」の声を近所から聞くことはとても稀になりました。


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★豆まきが嫌煙される理由

1)まいた豆が家具の後ろなどに入り込み、掃除が大変

2)たとえ家の中とはいえ、まいた豆を拾って食べるのは 衛生上好まれなくなった
  (特に幼い子供がいる家庭では、教育上良くないと考える人が増えた)

3)都心部では、大声で「鬼は外・・・」と唱えると近所迷惑

4)そもそも、その時刻に家の主人が帰宅していない、夫婦共稼ぎ等

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 そのせいか、最近では「恵方巻き」の習慣が広まってきています。

 「恵方巻き」は、その年毎の縁起の良い方向(恵方)を向いて

太巻きを食べるというものですが、

もともとは関西の海苔問屋が、海苔の消費を上げるために考えたもので
(日本でのバレンタインデーみたいなもの?)、

関西方面に広まっていたお祭りです。

それを2002年から2003年ぐらいに、
あるコンビニエンスストアーチェーンが関東地方に持ち込み、

上に書いたような豆まきを避ける潮流と重なって急激に広まったものです。

   太巻きに入れる具は様々ですが、

七福神にちなんで7種類の具を入れるものだそうです。

主には、「かんぴょう」、「桜でんぶ」、「卵焼き」、「うなぎ」、

「きゅうり」、「三つ葉」、「しいたけ」等がポピュラーなようです。

 なお、恵方巻きの禁じ手として

「包丁を入れる(包丁で切る)」ことがありますので、ご注意を。

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人日(じんじつ)

平安時代に貴族の女の子の厄除けと健康祈願のお祭りとして広まりました。

その後、だんだんと庶民の間にも親しまれるようになったようです。

お雛様は子供の厄を受け持っているので、

女の子が生まれたら、その子用にお雛様を用意するそうです。(大変ですね。)

 雛祭りと言えば、菱餅や雛あられ、ちらし寿司などの食べ物が有名ですね。

 ちらし寿司の作り方は、各家庭の味(お母さんの味)ですね。

一般的には、酢飯の上に具を載せるちらし寿司ですが、

酢飯に具を混ぜ込んでしまうちらし寿司もあるそうです。

 使われる具も様々で、

主に「椎茸」、「蓮根」、「錦糸玉子」、「かんぴょう」、「人参」、「絹さや」。

彩とちょっと贅沢に、「海老」、「菜の花」なども春らしいですね。

そして、忘れてはならない「桜でんぶ」です。

一気に「女の子の節句」らしくなります。

他に、縁起の良い食材、華やかな食材、お祝い事にはお馴染みの食材を使って
女の子の成長と健康を祝うんですね。

そんな愛情のこもった手作りのちらし寿司を食べて幸せですね。

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人日(じんじつ)

 花見は日本人特有の文化のようです。

 冬が終わって、春になると同時に一斉に咲いて、

非常に短期間で散ってしまう桜の花は日本人が好きな「哀愁」を誘うようで、

その短い最盛期を鑑賞する風習は奈良時代からあったようです。

 当初は貴族達などの限られた人々の習慣でしたが、

江戸時代に一般に広まったようで、

そのころから、現代に至るどんちゃん騒ぎが加わりました。


 花見と言えば花見団子ですが、花見団子の色は朱、白、緑の3色です。

 朱は桜を表し、春の季節を代表しています。

また、白は雪を表し冬の名残を、

同様に緑は夏の予兆を示しており、

草もちと同じくヨモギで緑を出していました。

現代の花見では、散りゆく桜を愛でるより単なる飲み会の場と化しており、

そのマナーの悪化はマスコミでも良く取り上げられています。

 「花より団子」の気持ちは良くわかりますが、マナーは守りましょう。

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人日(じんじつ)

 「こどもの日」とも言いますが、もともと5月は悪月とされており、

その邪気を祓うために粽(チマキ)を食べる習慣だったそうです。

 「粽」自体は中国発祥の食べ物で、紀元前300年頃に自国の将来に絶望して

入水自殺した人の弔いのために川に投げ込んだのが始まりだそうです。

入水自殺した人の体を魚がつつかないように、

ご飯を葉に包んで魚に食べさせようと言う事です。

 男の子の節句となったのは江戸時代からと言われており、

3月3日の桃の節句(女の子の節句)と対比付けてだそうです。

その頃から「柏餅」を食べる風習も広がったようです。

 なぜ柏なのかというと、

柏は新芽が育つまで古い葉が落ちないことから子孫繁栄を祈願して

柏が選ばれたようですが

西日本では柏が自生していないため、

昔から地方によっていろいろな葉が使われていたようです。

 ちなみに日本の法律(祝日法)では

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに母に感謝する」

ことを趣旨としています。

実は母に感謝する日でもあったこと、ご存知でしたでしょうか?

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 茶摘みの歌にも歌われる八十八夜とは、立春を1日目にした雑節の一つで、

立春から八十八日目に日であり、この日に摘んだお茶は特に上質とされてきました。

雑節とは、季節の移り変わりをわかり易くするための暦日で、他には

節分、彼岸、土用があります。

茶摘みの歌に「夏も近づく」とあるのは、この時期は遅霜が発生する時期でもあるため

農家に対して、まだ霜に対する注意を怠らないよう促すために八十八夜が設けられた

経緯があり、逆にこの時期を過ぎればどんどん暖かくなっていくことを暗示しています。

(立夏は立春から90日程度です)

日本文化に深く浸透しているお茶の習慣ですが、おおよそ我々が親しんでいるお茶

(チャ又はティー)の全てのルーツは中国にあります。

日本へは、ヨーロッパ等よりも何百年も早くからお茶の習慣が伝わっており、

平安時代の僧侶の間で、眠気覚ましとして飲まれていました。

一般に広まったのは室町時代から安土・桃山時代にかけての様子で、日本独自の

「茶道」(茶の湯)が完成したのもこの頃です。

それこそ庶民が飲むお茶から、大名・貴族が飲む高級品のお茶まで、お茶には

数え切れない程の品種があります。

その中でも、茶道に使う抹茶はお茶の葉を蒸した後に乾燥させて粉末にした物を臼で挽いたものです。

抹茶の持つ独特の苦みは、日本人の好みに合うとともに、甘さとの相性が良い為、

アイスからチョコレート、お菓子等に用いられて日本独自の味として広まっています。

中でも旧暦の3月20日に摘んだ茶葉で作った抹茶は特に美味しいと言われています。

お茶を飲むことから、客をもてなす心を重要視する「茶道」は江戸時代には広範に広まり

女性のたしなみとされるまでになりましたが、明治時代以降は西洋文明の浸透に伴って

かなり廃れてしまいました。

しかしながら、近年は和風文化を見直す風潮が広まりつつあるようで、

大規模なショッピングモールにもお茶の粉を専門に扱う店舗が増え始め、

容易に入手できるようになりました。

一方、昔から一般家庭で良く飲まれていた日本茶は、お茶の葉を細かく切って蒸したもので

急須で簡単に淹れられるため、昔はどこの家庭にも必ずといっていい程に常備されていたましたが、

近年では、コーヒーや紅茶にとって代られるようになりました。

この日本茶のように、お茶の葉を蒸すして飲むという飲み物のは世界的に見ても非常に珍しく、

その生産も消費もほぼ日本に限られる、まさに日本独自の飲み物です。

一言に日本茶といっても大雑把には(高級品より)玉露、煎茶、番茶とそのレベルが分かれており、

一般的に煎茶は春の茶葉を使って作ります。また、玉露はお茶の葉を摘む前に2週間程被服を施したもので、

渋みが薄く甘みがあるのが特徴であり、逆に番茶は、秋の茶葉を使うため渋みが強いのが特徴です。

昔から日本人の生活において、様々な場面で一般的な飲み物として定着してきたお茶ですが、

そのことは言葉にも表れており

お茶をする = 休憩する
お茶を濁す = その場をごまかす

の要に一種の隠語として使われています。

また最近では、手軽に飲めるペットボトル飲料としてのお茶も広く普及しており、

政治家や官僚の方々の勉強会等で、出席者の机上にペットボトルのお茶が置かれている場面が

テレビに良く映っていますが、これはこれで、どことなく風情が無い気がします。


ところで、お茶の生産量日本一は静岡県で、新幹線から見えるお茶畑でも有名ですが、

2位は鹿児島県だそうです。

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人日(じんじつ)

「土曜の丑の日」は、一般的には鰻(うなぎ)の蒲焼(かばやき)を食べる日なのですが、

本当は別に鰻に限らずに「う」で始まる食べ物であれば何でも良いのです。

(つまり、馬、牛、うさぎ、うに、梅・・・)

 ここで、まず土用とは中国の五行思想に基づく季節の分類の仕方で、

春は木気、夏は火気、秋は金気、冬は水気が割り当てられていて、

土気は季節の変わり目を指しています。

よって、正確には土用は年に4回あるのですが、

一般的に「土用」といえば、夏の土用を指すことが多かったそうです。

 土用の丑の日に「う」で始まるものを食べると病気にならない

といった言い伝えがあったようですが

江戸時代の発明家として有名な平賀源内が、

鰻屋さんから「夏は魚が売れなくてこまった」との相談にのって、

発案したキャンペーンが大当たりして

いつの間にか「土用の丑の日には鰻を食べる」習慣ができたそうです。

(他にも諸説ありますが)

まるで、バレンタインデーのチョコレートのような話ですが、

結果的には鰻にはビタミンBが沢山含まれており、夏ばて防止にはもってこいでした。

 また、先ほども述べましたように、別に土用の丑の日は夏に限った日ではないので、

最近では夏以外の土用の丑の日にも鰻を食べる習慣を

普及しようという動きがあるようですが、

風情的には少し寂しいかと・・・。

 いづれにしても夏の暑い時期を乗り越えるには、やはり鰻の蒲焼でしょう。

 また、鰻と梅干は食い合わせが悪い(お腹をこわすそうです)と

言われていますので、ご注意を。


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人日(じんじつ)

 
「彼岸」とは、本来の意味としては、煩悩を脱した悟りの境地のことを言います。

太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる

春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間に

仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられていたのです。

とはいえ、仏教色の強いお彼岸ですが、この風習は「日本特有の風習」だそうです。

お彼岸は、年に2回あります。春と秋のお彼岸は

春の彼岸を「彼岸」といい、秋の彼岸は「秋彼岸」と言われます。

そして、初日を「彼岸の入り」、最終日を「彼岸の明け」と呼び、

中間の日を「彼岸の中日(ちゅうにち)」といいます。

お彼岸には、お寺で七日間に渡って彼岸会(ひがんえ)が行われ、

家庭でも先祖の霊を供養するために、仏壇にお供えをしたり、お墓参りをします。

とはいえ特別はことはなく、

先祖の霊を供養するために、仏壇にお供えをしたり、お墓参りをするぐらいです。

お彼岸のお供え物として有名なのが、「ぼたもち・おはぎ」です。

「ぼたもち・おはぎ」をお彼岸や四十九日の忌明けに

いただくようになったのは、江戸時代からです。

あずきの赤色には、

災難が身に降りかからないようにするおまじないの効果があると信じられていて、

古くから邪気を払う食べ物としての信仰が、先祖の供養と結びついたと言われています。

また仏教では、彼岸は、彼の岸として悟りの境地を言い、

苦しみに満ちている此岸と対になる言葉として使われています。

そこで彼岸中は仏道修行に励む訳ですが、

日本では祖霊崇拝の慣習を合わさり、

ぼたもちやおはぎを捧げ、先祖を慰め、自分自身の功徳を積んでいました。

だから本当は、自分たちで食べるものではなかったんですね。

「暑さも寒さも彼岸まで」と言われるように、

春の彼岸は農作業が始まる時期で、秋の彼岸は収穫の時期にあたります。

よって、春には収穫をもたらす山の神などを迎えるためぼたもちを、

秋には収穫を感謝しておはぎを作ったとも言われています。

「ぼたもち」も「おはぎ」も餅米のお団子をあんこで包んだ和菓子ですが、違いがあるのです。

まずは、呼び名です。

春の彼岸には「ぼたもち」、秋の彼岸には「おはぎ」と名前が変わりますが、

これは季節の花に関係しています。

まわりのあずきを、春は「牡丹」、秋は「萩」に見立て呼ばれています。

次に大きさですが、

「ぼたもち」は、牡丹の花をかたどって「丸く大きく」、

「おはぎ」は、秋の七草の萩の赤紫の花をかたどって「小ぶりで長め」です。

そして、あんこです。

あんこの材料であるあずきの収穫時期が関係しています。

「おはぎ」(秋のお彼岸)には、収穫すぐの小豆を使うので、

皮ごと潰して「つぶあん」になります。

が、「ぼたもち」(春のお彼岸)の頃には、小豆の皮が固くなっているので、

皮を取り除いた小豆の「こしあん」になります。

ともあれ、

お彼岸には、ご先祖や亡くなられた方をご供養し、

ぼたもちとおはぎの歴史を思い、

春のお彼岸にはこしあんのぼたもちを、秋のお彼岸には粒あんのおはぎを

いただきながら、季節の風情を感じたいものですね。

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人日(じんじつ)

  現在では、日本全国的に見られる行事ですが、もともとは関東地方の行事だったそうです。

筆者は昔、関西地方に10年程住んでいましたが、確かにそこのろは十三詣りばかりでした。

 本来は男の子は5歳、女の子は3歳と7歳にお祝いするものですが、

近年はかなりフレキシブルに行われているようです。

 と、いうのも一般的に兄弟姉妹の年齢は母体のことを考えてか、

1年飛んでの年齢差になることが多いようで、

例えば上の子供が女の子で、下が男の子の場合は

7歳と5歳の組合せの年に一度で済ましたりすることもあるようです。

 いずれにしても成人式と並んで和服業界、

美容業界にとっては一大セレモニーとなっているようです。

特に、千葉県や茨城県では結婚式のようにホテル等で行うこともあるようです。

 七五三は旧暦の11月15日に神社などを詣でて、子供の成長を祝うものですが、

これも親の仕事の都合やお店の都合などで、11月の休日等を利用する人が多いようです。

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  なお、各年齢毎の意味合いは以下の通りです。

  ●3歳:髪置(かみおき)
     それまで、お河童頭だった女の子が髪を伸ばし始める年齢を指します。
  ●5歳:袴着(はかまぎ)
     男の子が初めて袴を着る行事です。
  ●7歳:帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)
     女の子が現在でいうところの和服を着せてもらえるようになる日です。

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 七五三といえば「千歳飴(ちとせあめ)」ですが、

江戸時代の元禄年間(西暦1688年から1703年)に浅草の飴屋さんが始めたものだそうです。

子供が細く長く生きて欲しいとの親の願いから、

あの独自の形状の飴となっているようです。

同じく、細く長くの願いを込めたものには年越し蕎麦もありますが。

 千歳飴は縁起物ですので、

一目で千歳飴が入っているとわかる派手な鶴と亀を模った柄や松竹梅の柄の袋に、

紅い飴と白い飴が入っています。

 白い飴の色は製造過程で、気泡を入れることで作るようで、

紅い色は天然着色料が使われるようです。

 いづれにしても現代の日本にあって七五三は、かわいい我が子を家族で祝う、

正に家族行事になっており、神社詣でが終わった後のお食事の方がメインみたいです。

(子供にとっても、その方が楽しみなようで・・・)。

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